【すずゆうチャンネル】東京大空襲…3月10日の惨劇 10万人を焼き殺した「科学的殺戮」と、逃げることを禁じた日本政府(1943~1945年)

皆さん、3月10日の「東京大空襲」について、学校の平和学習でどのように習いましたか?
「アメリカ軍のB-29がたくさん飛んできて、下町が火の海になり、可哀想な民間人がたくさん死にました。戦争は本当に悲惨ですね。二度と繰り返してはいけません」

しかし、東京大空襲は、ただの「悲惨な戦争の被害」や「偶然起きた悲劇」などではありません。
それは、世界最高峰の頭脳を持ったアメリカの超エリート科学者と軍人たちが、莫大な国家予算を注ぎ込み、「日本の木造家屋と、そこに住む人間を、いかに安く、早く、確実に、一人残らず炭化させるか」
これを科学的に計算し尽くして実行した、「完全なる科学的殺戮」
でした。

そして、私たちが絶対に眼を背けてはならない「もう一つの狂気」があります。
この、何千度という温度で燃え続けるアメリカの炎の雨が降ってくる時、日本政府は、国民に向かって何と言っていたかご存知ですか?
「爆弾が落ちてきても、絶対に逃げるな」
「隣近所で協力して、この『バケツの水』と『火ばたき』で火を消せ」
「勝手に逃げ出した奴は、非国民として配給を止めるし、処罰する」

アメリカが、水では消えない「ゼリー状のガソリン(ナパーム)」を頭上から数千万発も降らせている時に、日本政府は国民に対して「バケツの水で消火活動をしろ」と強制し、彼らの逃げ道を法律で完全に塞いでいたのです。

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今日のテーマは、教科書に書けない「東京大空襲のどす黒い真実」です。


アメリカ・ユタ州の砂漠のど真ん中に、「日本の村」を完全再現して行われた、恐るべき燃焼実験
冷血な指揮官カーチス・ルメイが編み出した「火の十字架」という、ネズミ一匹逃さない悪魔の包囲網
そして、一晩で10万人を焼き殺したこのルメイに対し、戦後の日本政府がなんと「最高位の勲章」を授与したという、吐き気のするような政治のリアル。

日米の「二つの狂気」という巨大なプレス機の間に挟まれ、沸騰する川の中でドロドロに溶けていった10万人の絶望を、完全解剖します。

アメリカの冷酷な作戦

日本の生産力を破壊するため、町全体を燃やし尽くせ!

時計の針を、東京大空襲の2年前、1943年に戻しましょう。


当時のアメリカ軍は、日本への爆撃戦略について、一つの大きな壁にぶつかっていました。
日本の軍需工場を爆撃したいが、日本はアメリカと違って巨大な工場が一箇所に固まっていない。
下町の小さな町工場が、部品をバラバラに作っている。
これでは効率が悪すぎる。
どうすれば日本の生産力を完全に破壊できるか?

ここでアメリカのエリートたちは、極めて冷酷で合理的な結論に達します。
「日本の家は、木と紙(障子やふすま)でできている。
だったら、工場をピンポイントで狙うのはやめよう。
下町に住んでいる「労働者(民間人)」もろとも、街全体を燃やし尽くしてしまえばいいのだ

アメリカに完璧に再現された日本の下町で行われた実験

しかし、アメリカの科学者たちは、「適当に爆弾を落とせば燃えるだろう」なんて雑な仕事はしません。
彼らは徹底的な「実験」を始めました。
ユタ州ダグウェイにある広大な砂漠のど真ん中に、なんと「日本の下町を完全に再現した村」を、わざわざ数百万ドルかけて建設したのです。
これ、本当に異常な執念なんですよ。
日系人の建築家を収容所から引っ張り出し、木材の材質(ヒノキやスギ)、屋根瓦の重さ、畳の厚さと藁の密度、ふすま、障子、さらには家の中にある「ちゃぶ台」や「座布団」に至るまで、日本から取り寄せた図面通りにミリ単位で作り上げました。
雨戸の隙間から入り込む風の強さまで計算したと言われています。
そして、その無人の「日本村」に向けて、様々な種類の爆弾を落とし、「どの角度から、どの爆弾を落とせば、最も効率よく、早く日本の家屋が燃え尽きるか」をテストし続けたのです。

開発された悪魔の兵器「M69焼夷弾」…水では絶対に消えない

そこでハーバード大学の科学者ルイス・フィーザーらが開発したのが、悪魔の兵器「M69焼夷弾」です。
この爆弾は、ドカンと爆発して建物を壊すものではありません。
中には「ナパーム」と呼ばれる、ガソリンに増粘剤を混ぜてゼリー状(スライム状)に固めたものがギッシリと詰まっています。
このM69が日本の屋根瓦を突き破って家の中(畳の上)に落ちると、導火線が発火し、ドロドロに燃え盛る火のゼリーが周囲30メートルにわたってシャワーのように飛び散ります。
このナパームの最も恐ろしい特徴は、水では絶対に消えないということです。
水をかければ水面に浮いてさらに燃え広がり、人間の皮膚や髪の毛にべっとりと張り付くと、骨が見えるまで数千度の高温で燃え尽きません

アメリカは、日本の木造家屋とそこに住む人々を「人間」としてではなく、「燃えやすい良質な燃料」として計算し、このM69焼夷弾を数千万発も大量生産したのです。
殺戮の準備は、科学の力によって完璧に整えられました。

カーチス・ルメイの残酷な作戦…どうやって多くの人間を殺すか?

夜間に低空飛行で落とす

兵器は完成しました。
次は「どうやって、より多くの人間を殺すか」です。
1945年1月、マリアナ諸島に赴任してきた一人の男が、歴史の歯車を最悪の方向へ回します。
のちに日本から「鬼畜ルメイ」と呼ばれることになる、第21爆撃機軍団司令官、カーチス・ルメイ少将です。
彼は葉巻をくわえた無骨な男で、戦争における道徳や人道など一切気にも留めない、究極の合理主義者でした。

それまでのアメリカ軍の爆撃の常識は、「昼間に、高度1万メートルの安全な高い空から、軍需工場だけを狙って爆発物を落とす(精密爆撃)」というものでした。
しかし、上空のジェット気流に流されて、なかなか命中しません。
ルメイは、部下たちに狂気とも思える命令を下します。
「やり方を変える。これからは夜間に行け。そして、高度を1500メートル~3000メートルの『超低空飛行』まで下げろ

これを聞いたパイロットたちは青ざめました。
「低空で飛んだら、日本の高射砲や戦闘機に撃ち落されてしまいます!」
しかしルメイは冷徹に言い放ちました。
「構わん。さらに、B-29に積んである機関銃や弾薬などの武装を全部取り外せ。その分軽くなった重さの分だけ、M69焼夷弾を限界まで詰め込め」
これは、パイロットにとっても丸腰で敵の懐に飛び込む、命がけの作戦です。
しかしルメイは、「計算上、日本の夜間の防空能力はザルに等しい。
撃墜されるリスクよりも、大量の焼夷弾を正確に下町にばら撒く方が、はるかに費用対効果が高い」と割り切ったのです。

人々の逃げ場を塞ぎ、33万発の焼夷弾をばら撒いた

そして1945年3月9日の深夜。
約300機のB-29が、マリアナの基地から東京上空に向けて一斉に飛び立ちました。
ここでルメイが編み出した、悪魔のような戦術が実行されます。
火の包囲陣」です。

まず、最初に東京上空に到達した線動機が、下町(原罪の江東区、墨田区、台東区など)とい密集地帯の中心に、巨大な「火の十字架」を描くように焼夷弾を落とします
これにより、対象エリアの「外枠」と「中心」が炎の壁で塞がれます
そして、その火の十字の目印に導かれるように、後続の200機以上の爆撃機が、十字の内側に閉じ込められた人間たちの頭上へ、約33万発、およそ1700トンものM69焼夷弾を絨毯のようにばら撒いたのです。

炎の壁で逃げ道をぐるりと塞ぎ、中にいる人間を確実にあぶり出し、焼き殺す
まるで、害虫を駆除するような、極めて論理的で完璧な「殺戮の方程式」でした。

3月10日、わずか2時間半の空襲で失われた10万人の命…逃げ場がなく黒焦げに

地上では何が起きたか。
3月10日の未明、午前0時過ぎ。
この日の東京は、折からの「強いからっ風」が吹いていました。
この強風と、一斉に投下されたナパームの炎が結びついた時、物理学的な大惨事が発生します。

周囲の酸素を急激に奪いながら燃え広がる炎は、一瞬にして巨大な炎の竜巻、「火災旋風」を生み出しました。
この火災旋風は、なんと自足100キロの突風となって下町を舐めまわしました。
炎が竜巻となって道路を走り抜けるのです。
逃げ惑う人間は、炎の竜巻に巻き込まれて空中に放り出され、そのまま黒焦げになって落ちてきました。
トタン屋根や火のついた木材が、刃物のように猛スピードで飛んできて人々の首を刎ねました。

温度は1000度を超え、周囲の酸素は完全に燃え尽きました。
火に直接触れていなくても、酸欠でバタバタと人々が倒れ、そのまま蒸し焼きになりました。
人々は、この業火から逃れるために、「水」を求めました。
隅田川、荒川、そして言問橋(ことといばし)などの橋の上に、数万人の群衆がパニック状態で殺到しました。

しかし、両岸から押し寄せる人波で、橋の上は身動きが取れなくなり、そこに容赦なくB-29から焼夷弾の雨が降り注ぎました。
言問橋の上だけで、数千人が折り重なるようにして焼け死に、橋は「黒焦げの死体の山」で埋め尽くされました。
「川の中に入れば助かる!」
そう思って、冬の冷たい隅田川の泥水に飛び込んだ母親たちもたくさんいました。
背中に赤ん坊を縛り付けたまま。

しかし、想像してみてください。数千度の炎に囲まれた川がどうなるか。
川の水が、グラグラと「沸騰」し始めたのです。
水に飛び込んだ人々は、熱湯の中で生きたまま茹で上がりました。
あるいは、冬の寒さで凍死するか、上から次々と飛び込んでくる人々の重みで川底に沈み、溺死しました。
夜が明けた時、隅田川は黒焦げの死体で水面が見えないほど埋め尽くされ、川の流れが止まっていたと言われます。
たった一晩。わずか2時間半の空襲です。
その間に、約10万人の命が失われました。
広島・長崎の原爆投下と並ぶ、あるいはそれ以上の、人類史上最悪の「通常兵器による大量虐殺」が完遂されたのです。

事実を隠し、逃げることを禁じた日本政府

お上の命令を信じて失われた命

アメリカ軍の科学的殺戮は、間違いなく悪魔の所業です。
しかし、この地獄の被害をここまで巨大化させた「もう一人の共犯者」がいます。
他でもない、当時の「日本政府」です。
なぜ、10万人もの人が逃げ遅れて焼け死んだのか?
それは、昭和16年(1941年)に改正された「防空法」という狂気の法律があったからです。

この法律では、空襲の際に「民間人が都市から逃げ出すこと」を厳しく禁じていました
「勝手に田舎に逃げた者は、配給を停止する」
「爆弾が落ちたら、逃げずに隣組で協力してバケツリレーと火ばたきで消火せよ」

政府の論理はこうです。
労働者が全員田舎に逃げたら、軍需工場が動かなくなる。生産力が落ちる。それに、逃げ惑う姿を見せれば国民の士気が下がる
政府や軍の上層部は、焼夷弾の恐ろしさ、水では消えないことを、ドイツや中国での戦訓からある程度知っていました
にもかかわらず、国民には事実を隠し、「逃げるな、国のために戦え」と強制したのです。

防空壕に隠れていれば、蒸し焼きになるのは明白でした。
だから、初期に火の手が上がった時、すぐに荷物を捨てて風上に走って逃げていれば、助かった命はたくさんありました。

しかし、真面目な日本人たちは、お上の命令を守り、炎の中で必死にバケツの水をかけようとして、そのまま炎に飲まれました。
つまり、10万人の犠牲者は、アメリカ軍に焼かれただけでなく、日本政府によって「炎の中に鍵をかけられ、見殺しにされた」のです。

絶望の真実…日本政府が悪魔のカーチス・ルメイに最高ランクの勲章を授与!(1964年・昭和39年)

「勲一等旭日大綬章」という、外国人に与えられる最高ランクの勲章

そして戦争が終わり、戦後の日本。
この地獄の底から、さらに胸糞の悪い「政治のリアル」が姿を現します。

1964年(昭和39年)。東京大空襲からわずか19年後
まだ被害者の遺族の悲しみも癒えきっていない時代です。

日本政府は、あろうことか、あの空襲の指揮官、10万人を焼き殺した張本人であるカーチス・ルメイに対し、「勲一等旭日大綬章」という、外国人に与えられる最高ランクの勲章を授与しました(首相は佐藤栄作)。
理由は「戦後、日本の航空自衛隊の育成に尽力してくれたから」です。

冷戦時代、アメリカの戦略空軍司令官となっていたルメイは、ソ連と対抗するために、日本の自衛隊を鍛えていました
その彼を推薦した日本人は誰か?
真珠湾攻撃の作戦を立案し、戦後は航空自衛隊のトップ(航空幕僚長)に上りつめた源田実らです。
彼らは同じ空軍の軍人として、ルメイと親交を深めていました。
「10万人の民間人を焼き殺した?それはそれ。戦争だから仕方ない。今は自衛隊を育ててくれた大恩人だから、最高の勲章をあげよう」
これが、国家というものの冷血な論理です。

国益や政治的同盟の前では、10万人の民間人の死など、ただの「過去の数字」としてあっさりと棚上げされ、悪魔の首に名誉のメダルがかけられたのです。

国の言うことを盲信するな

いかがだったでしょうか。東京大空襲の闇。
アメリカの圧倒的な化学力と冷徹な計算
そして、国民の命よりも「建前」と「生産力」を優先し、逃げることを禁じた日本政府
さらに、過去の大量虐殺を「政治的都合」であっさりと水に流した戦後政治のグロテスクさ
戦争における最大の被害者は、常に、大義名分を持たない「名もなき一般市民」です。

そして、彼らを殺すのは、敵国の爆弾だけではありません。
自国の政府の「無責任な命令」や「隠蔽」もまた、凶器となり得るのです。
「国が言うことだから間違いない」「法律で決まっているから逃げちゃダメだ」
その思考停止が、バケツリレーで焼夷弾に立ち向かわせるという、絶望的な悲劇を生みました

私たちは今、平和な時代に生きています。
しかし、もし再び危機が訪れた時、私たちは「国の指示」を盲信せず、自分の頭で考え、自分の足で逃げる決断ができるでしょうか?
「逃げる」ことは、恥ではありません。
生き延びる事こそが、最大の抵抗なのです。

毎年3月10日が来るたびに、東京の空を見上げて思い出してください。
そこには、アメリカの科学と日本の建前によって焼き尽くされた、10万人の命の叫びが、今も確かに漂っていることを。

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