【すずゆうチャンネル】鄧小平:天安門事件の底なしの闇(事件の日:1989年6月4日)

1989年6月4日。

「天安門事件」と聞いて、どんな映像が頭に浮かびますか?

「巨大な戦車の車列の前に、買い物袋を提げたたった1人の若者が立ちはだかる、あの『タンクマンの映像』。

自由と民主主義という崇高な理想のために戦った学生たちが、非道な独裁政府によって弾圧された美しくも悲しい悲劇。

しかし、天安門事件の本質はあの一人の男の勇気などではありません。

そのカメラの外で、数千人とも言われる名もなき一般市民の肉体が、人体を破壊するためだけに作られた『ダムダム弾』で吹き飛ばされ、数十トンの戦車に轢かれて、文字通りアスファルトの上でミートパイにされたという、国家による圧倒的で物理的な「暴力」の行使です。

そして、この事件が持つ最も恐ろしく、最も絶望的な真実は別にあります。

それは、あの大虐殺から数十年経った現在、中国という14億人を抱える巨大な国において、「あの事件は最初からなかったこと」として国民の記憶から完全に消去されているという事実です。

学生や市民を広場へ突き動かした本当の理由は「高尚な民主主義」ではなく、特権階級の底なしの腐敗による「飢えと絶望」だったというリアル。

「まさか自分たちの国の軍隊が、自分たちを撃つわけがない」という若者たちの甘すぎる幻想が、血の海に沈んだ6月3日の惨劇。

そして、虐殺の後に国家が国民と結んだ「お前たちを金持ちにしてやるから、政治のことは一切忘れて口を縫い合わせろ」という悪魔の契約

人類史上、最も残酷で最も見事に成功した「情報統制と記憶抹殺システム」の全貌を完全解剖します。

1989年 鄧小平「改革開放路線」…極限の貧困と不平等

時計の針を、1989年の春に戻しましょう。

当時の中国は、毛沢東時代の狂気(文化大革命)が終わり、最高指導者である鄧小平が推し進める「改革開放」路線の真っ只中でした。

「黒いネコでも白い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」「豊かになれる者から先に豊かになれ」というスローガンのもと、社会主義の国に資本主義のシステムをドッキングさせ、猛烈な経済成長を目指していました。

しかし、このツギハギのシステムには、致命的な「バグ」が存在していました。

それが「二重価格制」です。

同じ商品なのに、国が定めた「極端に安い価格」と市場で取引される「高い価格」の二つが存在したのです。

ここで、共産党の幹部やその子どもたちは、最悪の錬金術を思いつきます。

彼らは自らの権力を使い、テレビや冷蔵庫、鉄鋼などの物資を「国の安い価格」で大量に仕入れ、それをそのまま「自由市場の高い価格」で横流しして転売したのです。

ただ右から左へ物を動かすだけで、濡れ手に粟で何百万、何千万円という莫大な利益を不正に独占していました。

これを当時の言葉で「官倒(グァンダオ)」と呼びます。

一方で、一生懸命働いている一般の市民や、エリートであるはずの大学生たちはどうだったか。

市場経済化の副作用である急激なインフレが、彼らを直撃しました。

インフレ率は、年率20%~30%にも達し、給料は据え置きなのに、食べ物や日用品の値段が毎日跳ね上がっていく

彼らは「その日のごはんを食べるのもやっと」という、極限の貧困と不平等に喘いでいました。

「俺たちはこんなに苦しいのに、あいつら(党の幹部)だけが汚い手でベンツに乗り、贅沢をしている!」

このマグマのように溜まった社会への怒りに、火をつける出来事が起きます。

4月 胡耀邦の急死…天安門広場に集まる人々

1989年4月。学生たちに理解を示し、民主的で清廉潔白だった、元総書記の胡耀邦が急死したのです。

これを追悼するという名目で、学生たちは北京の中心、天安門広場に集まりました

西側のメディアは彼らを「自由を求める民主化闘士」として美化して報じました。

しかし、初期の彼らの最大の要求は「欧米のような民主主義の導入」というより、「一部の特権階級だけが甘い汁を吸う、この腐敗しきった不平等をどうにかしろ!」という、極めて切実で、泥臭い経済的・社会的な怒りだったのです。

この怒りは、学生だけなく、インフレに苦しむ工場労働者、公務員、ジャーナリスト、果ては一部の警察官の心にまで強く響きました。

広場には連日、数十万人、最大で100万人もの人々が押し寄せ、テントを張り、歌を歌い、屋台が出るなど、一種の「お祭り騒ぎ」のような熱狂状態になります。

警察も多すぎる群衆に手出しができず、彼らは「俺たちの声が、ついにこの巨大な国を動かすんだ!」と歓喜し、完全に酔いしれました。

…しかし、彼らは決定的に分かっていませんでした。

彼らが相手にしている「中国共産党」という巨大な国家は、民衆の平和的なデモや熱気によって方針を変えるような、生易しい代物ではないということを。

国家のトップである鄧小平は、この広場を埋め尽くす100万人の群衆を冷徹な目で見下ろし、すでに「最悪の決断」を下す準備を進めていたのです。

5月 一般市民に光が見えた軍隊の撤退

5月中旬、天安門広場を占拠し続ける学生たちは、最大の「カード」を切ります。

ハンガーストライキの決行です。

折しもこの時、ソ連のトップであるゴルバチョフ書記長が、中ソ関係正常化のために北京を訪問していました。

世界中のメディアのカメラが北京に集まっている、まさにそのタイミングを狙って、学生たちは世界に向けて「中国政府の非道さ」をアピールしたのです。

これは、政府(特に鄧小平)にとって、国家のメンツを丸潰れにされる「最大の屈辱」でした。

ついに政府は「戒厳令」を発令し、天安門広場を武力で排除するために、人民解放軍を出動させます。

しかし、ここで極めて奇妙な光景が現れます。

広場に向かってくる軍のトラックを、北京のおばちゃんや老人、若者たち一般市民が何万人も道に溢れだして取り囲み、兵士たちに向かって説得し始めたのです。

「あなたたちは人民の軍隊でしょう?なぜ、国を良くしようとしている学生たちを撃とうとするの?帰りなさい!」。

すると、初期に出動した北京の舞台の兵士たちは、市民の涙ながらの説得に同情し、本当にそのまま舞台を引き返してしまったのです。

この小さな「勝利体験」が、広場にいる学生と市民たちに「致命的な勘違い」を植え付けました。

「人民解放軍は、文字通り人民のための軍隊だ。彼らは絶対に俺たちを撃たない。撃てるはずがない!」

中国には毛沢東時代から「軍と人民は魚と水(切っても切れない関係)」という強力なプロパガンダがありました。

彼らはその国家の洗脳を、皮肉にもピュアに信じ込んでしまっていたのです。

学生のリーダーたちは「自分たちは歴史を変える英雄だ」というヒロイズムに酔いしれ、政府との妥協や、広場から安全に退避するタイミングを完全に失ってしまいました。

しかし、党の最高指導者・鄧小平のロジックは、彼らの「お花畑の理想論」とは全く次元が異なりました。

鄧小平という男は、長征を生き抜き、文化大革命で何度も失脚し、血みどろの権力闘争を生き抜いてきた「鋼のような冷酷なリアリスト」です。

彼にとって、共産党の一党独裁システムが崩れることは、中国という巨大な国家が再び内戦と殺し合いの地獄に逆戻りすることを意味していました。

20万人殺しても、20年の安定を得る

国家の生存(システムの維持)のためなら、数万人の市民の命など、安いコストに過ぎないのです。

政府はすぐさま作戦を変更します。

北京の市民に同情してしまう地元の部隊を前線から外し、「北京の状況を全く知らない、遠くの地方から呼び寄せた部隊」を北京の郊外に配置しました。

彼ら地方の兵士たちは、数週間にわたって新聞やテレビなどの外部情報を完全に遮断され、テントの中で徹底的な洗脳教育を施されました

「現在、北京は国家を転覆させようとする凶悪な『暴徒(テロリスト)』に占拠されている。彼らは我々の仲間の兵士を殺している。お前たちは祖国を守るために、暴徒を殲滅(せんめつ)しなければならない」と。 

「人民の軍隊」という幻想は、国家の生存システムを維持するための「感情を持たない巨大な殺戮マシーン」へと、密かに、しかし確実に歯車を入れ替えていたのです。

悪夢の6月3日…一般市民に容赦なく撃ち込まれる弾丸

そして運命の、1989年の6月3日の深夜。

軍の上層部から「どんな手段を使っても、明日の朝までに広場を完全に制圧せよ」という最終命令が下されました。

完全武装した兵士たちと装甲車。そして数十トンもの重量を持つ59式戦車の巨大な車列が、北京のメインストリートである長安街を、西から広場へ向かって怒涛のように進み始めます。

市民たちは「また軍隊が脅しに来たぞ。みんなで止めよう!」と、道路にバスやトラックを横付けし、自転車を積み上げてバリケードを作りました。

しかし、今回兵士たちが持っていたのは、威嚇用のゴム弾や催涙ガスではありません。

しかも、一部の部隊で使用されたと多くの証言が残っているのが、国際法(ハーグ陸戦条約)で使用が禁止されている非人道兵器、「ダムダム弾(拡張弾頭)」です。

この弾丸は、人体に命中した瞬間に体内でキノコのように破裂し、内臓をミンチにして、出口にソフトボールほどの巨大な穴を開ける、絶対に人を殺すための弾丸です。

軍隊は、バリケードを作って立ちはだかる市民に向けて、警告も無しに、アサルトライフルの引き金を引きました。

ダダダダダッ!という轟音と共に、最前線で腕を組んでいた人々が次々と頭や胸を吹き飛ばされ、血の海の中に倒れ込みます。

「撃ってきたぞ!本当に実弾だ!逃げろ!」

パニックになって背を向けて逃げ惑う群衆の背中にも、無数の銃弾が雨のように浴びせられました。

そして、彼らが作り上げたバスや自転車のバリケード。

そんなものは、戦車の前では紙クズ同然です。

戦車はスピードを落とすことなく、バリケードごと、その後ろに隠れていた人間たちを、文字通りキャタピラで弾き潰しながら前進しました。

深夜の北京の街は、絶叫と銃声、火柱、そして人間の骨と肉が潰れる音だけが響く、生き地獄と化しました。

実は、この事件で最も多くの犠牲者が出たのは、天安門広場の中ではなく、広場に向かう軍隊を必死に止めようとした、名もなき一般市民たちがいた「周辺の通り」だったのです。

近くの病院は、運び込まれる死体と、内臓を飛び出させた重傷者で溢れ返り、床は血の海となり、医師たちは泣き叫びながら手術を行いました。

午前1時半。

ついに軍隊は天安門広場を完全に包囲します。

広場に残っていた数千人の学生たちは、四方から銃口を突き付けられ、自分たちが完全に袋のネズミになったことを悟りました。

知識人である劉暁波(りゅうぎょうは)らが軍と決死の交渉を行い、最終的に学生たちは広場からの撤退に同意します。

しかし、その撤退の最中にも、催涙ガスが撃ち込まれ、逃げる学生たちの列に背後から戦車が突っ込み、多くの若者がキャタピラの下で肉塊となりました。

夜が明けた6月4日の朝。

天安門広場から、何週間も続いたあの学生たちの熱気とテントは完全に消え去っていました。

そこにあるのは、洗水車によって慌ただしく洗い流される血の跡と、キャタピラに踏み潰された自転車の無残な残骸、そして武装した兵士たちの姿だけでした。

中国政府の公式発表では、「暴徒との衝突による死者は数百人(学生の死者は数十人)」とされています。

しかし、当時のイギリス大使館の極秘公文書や学生側の推計によれば、実際の死者は数千人、あるいは一万人以上に上るとも言われています。

真実の数字は、戦車のキャタピラの下で、今も永遠の闇の中に封印されているのです。

記憶を消去…天安門事件について全く知らない中国の若者たち

自国の若者と市民を戦車で轢き殺し、力技で政権を維持した中国共産党。

しかし、この事件における「本当の闇」は、この6月4日の「物理的な大虐殺」ではありません。

虐殺の後に彼らが数十年間かけて行ったこと。

それは、14億人の脳内から、この事件の記憶そのものを跡形もなく消去するという、人類史上類を見ない、国家ぐるみの洗脳です。

政府は事件直後、徹底的な魔女狩りを行いました。

監視カメラの映像をテレビで垂れ流し、密告を奨励して、市民を恐怖で完全に沈黙させました。

そして、国民に対してある「悪魔の契約」を突き付けます。

政治のことは完全に忘れろ。共産党の一党独裁に今後一切口出しするな

その代わり、お前たちを徹底的に『金持ち(経済成長)』にしてやる」。

江沢民体制以降の中国は、この契約のもと、猛烈な勢いで世界の工場として発展しました。

これが、その後の中国のすさまじい経済成長の原動力です。

「自由」や「民主主義」という、血を流すような面倒な理念を捨て去り、ひたすら「カネを稼ぐこと」だけに国民のエネルギーの全てを向かわせたのです。

そして、インターネットの時代が到来すると、国家の記憶抹殺システムは「完全体」へと進化します。

国家は「グレート・ファイアーウォール」と呼ばれる、世界最強の検閲システムを構築しました。

中国国内のネット検索で「天安門事件」「6月4日」「1989」といったキーワードを打ち込んでも、エラーが出るだけで何も表示されません。

人々が検閲を逃れるために「5月35日」や「8の平方(64)」といった隠語を作っても、AIが即座にそれを学習し、ブロックして削除します。

SNSで不用意な書き込みをすれば、即座にアカウントが凍結され、公安警察が家のドアをノックしに来ます。

この徹底した情報統制の結果、どうなったか。

今の中国の若い世代(20代や30代)の多くは、自分の国の首都のど真ん中で、わずか数十年前に、数千人の若者が自分たちの国の軍隊に殺されたという事実を『本当に、全く、何一つ知らない』のです。

彼らが海外の大学に留学して、初めてYouTubeなどで天安門事件の映像を見た時。

彼らはショックを受けるどころか、「これは欧米のメディアが中国を貶めるために作った、悪質なディープフェイクだ!」と本気で怒りだす中国人学生がいるほどです。

彼らの脳内からは、1989年の記憶がキレイに削除されているのです。

ジョージ・オーウェルのディストピア小説に、「過去を支配する者は未来を支配する。現在を支配する者は過去を支配する」という有名な言葉があります。

中国では、これがフィクションではなく、現実のシステムとして完璧に機能しているのです。

血みどろの武力弾圧によって権力を維持し、経済成長という「アメ」で国民の口に札束を詰め込んで塞ぎ、最新のITテクノロジーで「過去の記憶」を完全に消去する。

天安門事件は、ただの悲劇ではありません。

独裁国家が体制を未来永劫維持するための、「最も残酷で、最も成功したマスターピース」となってしまったのです。

最期に…過ちを語り批判することは自動的に守られる権利ではない

いかがでしたでしょうか。「天安門事件の闇。

特権階級の腐敗への怒りから始まった、100万人の熱狂。

人民の軍隊という幻想が、実弾と戦車によって物理的にすり潰された惨劇。

そして、国家が国民の「記憶」を抹殺することに完全に成功したという、現在進行形のディストピア。

近年、中国で厳しいゼロコロナ政策のロックダウンに抗議した若者たちが、街頭に立ちました。

その時、彼らが手に掲げていたのは、何だったか覚えていますか?

それは、スローガンが書かれた横断幕ではなく、「何の文字も書かれていない、真っ白なA4の紙(白紙運動)」でした。

それは、「何か一つでも政府批判の言葉を書けば、国家の完璧な検閲・監視システムによって証拠となり、即座に逮捕され、人生が終わる」という極限の恐怖の中で、それでも「私たちは反対している」という意思を示すための、痛ましいほどのギリギリの抵抗でした。

1989年、天安門広場には無数の色鮮やかな横断幕がはためき、若者たちは自由を求めて大声で叫んでいました。

しかし、それから数十年後の今の中国では、何も書かれていない「白紙」を無言で持つことすら、国家のシステムを揺るがす重大な犯罪になるのです。

血を流した学生たちの死は、社会を民主化するどころか、逆に国家の「国民監視システム」をさらに強固で完璧なものへと進化されるための「踏み台」にされてしまったのです。

私たちが日本で当たり前だと思っている「過去の歴史の過ちを知り、それを自由に語り、批判することができる」という権利。

それは、決して放っておいても自動的に守られるものではありません。

国家が本気を出し、テクノロジーを駆使すれば、歴史の事実などいとも簡単に「最初からなかったこと」にできるのです。これが「国家権力と情報統制のリアル」です。

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