2025年参議院選挙。参政党公認参議院議員候補の宮出ちさとさんの街頭演説。
これまでの人生、家庭環境、議員を目指したきっかけなど語りました。
宮出さんの生い立ち
共産党の家庭で育った
私は共産党の家庭で育ったんですね。
共産党というとですね、参政党めっちゃ真逆にあるやんと、皆さん思われているかもしれないんですが。
実は共産党。そんなに悪いところばかりではありません。
しっかりと勉強されている議員さん。すごく多いですし。
赤旗でいろんなスクープを出していたりですね。
しっかりこう取材をして書いている記事も多いんですね。
今ちょっと参政党に対して批判みたいな記事も書かれてますので、そういうのはどうかなと思うんですけれども。
でも、悪いところだけではありません。
食の話だったりね、そういうことは結構書いてくださっているし、私も小さい時からですね、母親がずっと赤旗を読んでおりましたので。
高校の時に小泉さんが現れまして。
そして、私が高校を卒業する時ぐらいにですね、確か郵政民営化を進めていくという事で。
これアカンでということを母親から教わりましたので、決して悪いことばかりではないんですが。
しかし皆さん、共産党さんの一番の問題点はどこだと思いますか?
今、私たちが日本人ファーストと言ってですね、そしてあの沖縄戦の話を神谷代表がされました。
その時にも、すごく叩かれましたよね。
日本人としての立場、日本人としての歴史観。
そういったものを日本の立場で語ると、それを否定されてしまう。
これはどうしたものかと皆さん思いますよね?
日本は悪いことをした国…「君が代は歌ってはダメ」
私もですね、縁あって、ちょっと大学の時にアメリカの方に少し渡りました。
結局大学に入ったんですが、途中で中退をしてしまいまして。
まあ、2年半ぐらいしかいなかったんですけれども。
そのアメリカに渡った時に、私最初は共産党の家庭でずっと育ちましたので、ずっと日本は悪いことしたんだよ。私たちずっと悪いことした国なんだよ。
沖縄に対しても、本土の人は悪いことしたんだっていうのをずっと教えられて。
そして、やっぱり8月が近づくとですね、そういう終戦に向けて、映画とか色々見せられますよね。
ですから、どれだけ戦争が悪くて、どれだけ日本が悪かったかっていうのを刷り込まれて、刷り込まれて育ってきました。
私ね、そういう家庭で育ったので、高校の卒業式。
私の高校は別に普通の高校で、ちゃんとですね、国旗も掲げてあったし、みんなで君が代も歌う。
そういう高校だったんですが。
私は親からきつくですね、「君が代は歌ってはダメですよ」と言われていたんですね。
そして、その頃の私は、クソ真面目に母親の言うことを聞いて、「ああ、あかんよな」と。
そして、みんなね、立って歌っている時に、私は座ったまま微動だにせず、座っていたんですよ。
さらに、それがなんとなくかっこいいことのように、思っていたんですよね。
今から思えばものすごく恥ずかしいなと思うんですが、でも、そういう感じだったんです、高校の時の私。
海外で感じた違和感…日本って本当に悪い国?
そして、アメリカに渡りました。
で、あそこは9月から授業が始まりますので、それまでは語学学校に通います。
で、語学学校で一番最初に何をしたかといったらですね、アメリカの国歌を歌わされました。
アメリカの国歌ね、私はまあ意気揚々とですね、みんなと一緒に歌ったわけですけれども。
で、その後、友達に「日本の国歌ってどんなん?」と聞かれた時に、「ああ、なんか君が代っていうらしいけど、私国歌歌ったことないねん」ということで、知らなかったんですよね。
私は、歌詞も知らないし、意味も知らないし、何ならメロディーもちゃんとわかってない。
そんな人間だったんですよ。
そしてそこから、なんで私ってアメリカの国歌歌えるのに、日本の国歌歌えないんだろう。
なんで君が代知らんのやろということになりまして。
ドイツ人の友達は、日本とドイツっていうと、もう枢軸国。悪いことをした国。もう二台巨頭みたいな感じですよね。
そんなドイツ人の友達が「ちさとは日本人でいいね。めっちゃうらやましい」と言ってくれたんですね。
なんでかな?とすごく不思議だったんですよ。
でも、よくよく考えてみたら、私それまでにも海外旅行すごく大好きで、いろんな国に行ってたんですね。
ヨーロッパに行ってもですね、まあ私が女性だからっていうこともあるかもしれませんが、特に私は差別を受けたと感じたことはありませんでした。
そして、東南アジアの国なんか行くとですね、入国審査の時にね、パスポートにハンコ押してくれるおじさんいるじゃないですか。
「ああ日本人か!」と言ってすごく喜んでくれて。
なんならね、パスポートでね、くるくるっと回してね、なんかパフォーマンスしてくれたり。
そんなすごくいいことをしてくれたんですね。
で、そういう記憶が蘇ってきて。
確かになんで私が教えられてきた通りの日本だったとしたら、あのおじさんはああいうことやってくれたんかな?あの人は、あんなふうに私に優しくしてれたんかな?っていうことが、思い出されて。
そっからですね、なにかおかしいんちゃうかな?と思いまして。
歴史について学び直し始める…GHQの占領時に変えられた日本
そして、日本の歴史のね、あのーもう1回勉強し直そうと思って、そういう本を私は読み出しました。
で、結果、大学中退してですね。まあ、日本に帰ってきて。
そういう色んな本を読んで。
まず、GHQが日本に何をしたのかっていうところから、私は読み始めたんですよ。
そしたら、今までと全然違ったものが見えてきました。
私たちの戦後の言論空間が、どれだけ歪められてきて、そして私たちが占領時にですね、どれだけ日本の国柄を変えられてきて、そしてそれを子供たちが信じるように、どれだけ教育が変えられてきてということを私はそこで知りました。
本当に衝撃的でした。
こんなことを自分が信じて、そして、自分の中に何かしらやっぱり「日本なんか悪い悪い」と思いながらもね、でもどこかで信じられない自分がいた。
その感覚って間違っていなかったんだなっていうことが、すごくその時に分かりました。
そして、私はあんまりね、友達が多い方でもなかったんですよ。
私本当に自分から、人に話しかけにいけるようなタイプでもないですし、あんまり人と話すのが得意なタイプでもない。
人前で話すのも苦手だし。
そして、友達は本当に少数で、深く深く付き合うようなタイプだったので、まあ友達も少ない。
当時付き合っていた人がいて、で、その人が仕事をしない。
ずっとヒモみたいな感じでですね、私養っていたので。
私仕事をして家に帰って、家事をして。
そして、その人は家にずっといるので何て言うんでしょう。生活が逆転してるんですよね。
だから、私が家に帰った時も寝ているとか、そんな感じでちょっと1人の時間があったりして。
読書をする時間も長くてですね。
そうやって日本の歴史であったり、日本の文化であったり、そういう本をすごく読む時間が多くて。
で、友達にもね、私24歳ぐらいの時だったと思いますが、誕生日の時にね、友達にね、「何かあげるよ」ってプレゼント。「何欲しい?」って聞かれた時に、「あ、ちょっと本買って欲しいやつあんねん」と言ってね、歴史の偉人の本買ってくれって言ったら、「あんた変なヤツやな」って言われた。
それぐらいちょっと変なやつなんですけど。
そうやって、私は1人の時間がちょっとあったのでね、そういう本を読んでずっと学んできたんですが。
で、その流れでどんどんですね、この日本の歴史だけじゃなくて、海外の歴史と言いますか。植民地ってなんで行ったのとか。
今なんでロンドンシティとかね、あめりかのね、ウォール街。そういう所が強いのはなんでとか。
アメリカのFRB。あの通貨発行権を持っていると言われてる。何が問題なん?とか。
そういうところに話がどんどん及んでいきまして。
今でいう所の本当に陰謀論のようなものを私20代の後半から30代。ずっとそういう本を読んでまいりました。
参政党へ入党
無力な自分には何もできないと諦め
そこで、世界のおかしさには気づいていたんです。
気付いていたんですが、じゃあ皆さんね、今これだけ大きな巨大な敵が立ち上がっていて。
そして、世界もそれに苦戦をしているというか。
国民がみんな気づかされないようにされて。国民が搾取されているような状態で。
どうやってそこに立ち向かっていけばいいんだと聞かれたら、私めちゃくちゃ無力やし、何も出来へんし。
そして、何なら日本の政党を全部見てみたところで、これに対して声をあげている政党って、どこもなかったんですよね。
どこもないから、私はもうこれはちょっと一旦そこから目をそらして諦めて。
もう自分は例えば田舎の方に引っ込んで、もう自分のやりたいこと。
例えば、その時私農業ちょっとやりたいなと思ってたので、農業とかやってね、もう目を背けて。まあ、自分の生活をとりあえず守っていって。
何かあった時はもう日本全部なくなるんやから、まあそれも仕方ないんかなと思ってたんですね。
それぐらいの感じでいたんですが。
神谷さんの参院選挑戦の記者会見を見て決意
その時にちょうど神谷さん。
私もCGSという番組をずっと見させていただいてて。
その神谷さんが政党を立ち上げたと。
でも、さすがに政党を立ち上げただけでは、何もできないだろうなと思って、ちょっと静観をしていました。
でも、4年前の12月に、参院選に挑戦をしますっていう記者会見を行いました。
その時私は、ようやく国政に打って出るのかと。
これは、私もそこに乗っかって、応援しないといけないなと思ったんですね。
それで私はその次の月にですね、入党をしまして。
まあ、そして参政党に入ったという経緯がございます。
でも、私はその時、ちょうど母親が癌になりましてね。
そして、膵臓がんだったので、その前の年の5月に膵臓がんですとちょっと診断をされまして。
で、そして1年ぐらい、私ちょうど家に引き取って。
ちょうどコロナの時期だったので、病院に入ってしまうとですね、病院で面会が出来ないという事で、家に引き取りまして、そして一緒に生活をしていたので。
まあ、母親は参政党じゃなくて、共産党ですしね。
で、そして私が参政党に入党したといってもですね、それを母親に伝えることもできないし、母親の看病もしないといけないという事で、すぐに活動はできなかったんですが。
ちょうど参院選のちょっと前に母が亡くなりまして。
そしてそこで母も亡くなったので。
まあ、私もね、ちょうどその時仕事もしていなかったので、これはもう参政党の活動に参加するしかないなということで、一歩踏み出して皆さんと一緒に活動を始めたという経緯がございます。
日本の家族・子供の教育を変えたい
母の顔色ばかりうかがっていた幼少期
私の母親、共産党なんですけれども、母親はまあ普通に仕事をしていた。
普通の主婦をやりながら、仕事をしていた。公務員をしておりました。
で、私は3番目に生まれた子供なんですが、まあ兄も姉も私もですね、生まれて結構すぐに保育園に預けられました。
私たぶん、2か月ぐらいで保育園に預けられました。
そして、ずっとですね、まあ物心ついた時から、保育園に行ってですね、ずーっとそこで7時8時ぐらいまで過ごすんですよ。
で、最後までお迎えが来ません。
お母さん、いつも私は最後まで待っていたんですね、先生と一緒に。
「今日もまた遅いね」と言いながら、待っていました。
で、そういう感じで私はすごしていて。
で、兄と姉が少し年が離れて、10歳と6歳と離れておりまして。
で、この兄弟がですね、ちょうど中学に上がるときに、埼玉の学校に行ってしまったんですよ。
で、彼らは埼玉の学校。
普通の学校ではなくて、ちょっとすごく自由な学校で、自分の好きなことを出来るというですね。
勉強なんかまったく何もしないというね、本当に好きなことばっかりする、そういう学校でした。
兄はオペラをちょっとやっていて、機織りをやっていて。これを今生業にしてるんですけれども。
姉もですね、民族舞踊とかそういうことをやっていてですね。
全く勉強してなかったんですよ。
その時にね、母親がね、「ああ、もうあかんな…」っていう感じをね、すごく出してきたんです。
で、私は母親の顔色をものすごく伺いながら、成長してきた子供だったんですね。
なぜかといったら、母はすごく仕事で忙しい。それが分かります。
なので、母に迷惑かけてはいけないと私は思っておりました。
ですから、母親の顔色を読んで、私は母が思っている通りに生きていかなければと思っていたんですね。
だから、顔色を読んで読んで行動していたので、その姉と兄が中学行ってしまった時に、勉強が出来ないといけないというようなね、そういう圧をすごく感じたんですよ。
ということで、わたし勉強頑張らないといけないんだなということでね、まあ私あんまり別に勉強好きではなかったけれども、勉強もそんなに一生懸命ではなかったけれども、とりあえずいい成績取ろうとしてですね、そうやって学校生活を送っておりました。
そんな事をしているうちに、私は母親の前でまさかと思うかもしれませんが、物心ついてから、母親の前で私は泣いたことがないんですね。
それぐらい母親に気を遣いながら生きてきたんですよ。
ペットボトルお茶1本買うのにも、「これ母親が何分働いて稼いだお金なんだろう」みたいな。
まあ、そういうことを考えながら生きていた。そういう子供でした。
そうやって自分のね、心を抑えつけて。
抑えつけて生きてるとですね、いつの間にか自分がやりたいことも分からない。
ね、自分の主張も出来ないんです。
私は学校で自ら手を挙げたことがありません。
授業参観でも、最後まで手を挙げることはありませんでした。
そして、そんな私は、何にも挑戦することができなくなってしまいました。
失敗をすると何を言われるんだろう。
とりあえず、安パイといいますかね。
安全な方、安全な方を選んで生きてきた人間でした。
少子化問題の原因は…自分に自信がない若者たち
そして、高校3年の時に、友達とこんな会話をしました。
将来子ども欲しい?って。話をしたんですね。
その時に、私はちょっとね、まあかっこよく聞こえるような感じで、「いや、こんな時代にさ、子ども産んでもさ、子どもかわいそうやんか。だから、私たぶん子供産めへんと思うわ」って言ったんですよ。
でもそれは、本当にそう思ってたわけじゃなくて、これも私の一種の逃げなんですね。
私は子供を育てるとか、子どもを持つとかね、すごく怖かったんですよ。
怖くて一歩踏み出せない。
これが私ずっと引きずって、この40歳になるまで子供いないんですが。
それはね、いろんな縁とかタイミングとかあったんですが。
まあ、でも子供を授かるタイミングっていうのは、確かにあったんですが。
でも、やっぱりそこでも30代とかになるとですね、「まだ子ども産めへんの?」とかいろいろ言われます。
でも私は子供を産むのが怖くて。自分みたいな人間が子供を育てるっていうのが、すごく怖いことで、私はこれをすることができませんでした。
で、今、少子化すごく問題ですよね。
で、この何が問題かっていうと、先ほども吉川議員言ってましたが、経済的な問題確かにあります。
でも、いろんなアンケートを読んでいると、子どもを持つのが怖いっていうそういう声があるんですよ。
「あ、これ私と同じ子がいっぱいいるんやな」と思ったんですね。
なので、これ経済だけ取り戻しても、多分若い子たちがね、自分に自信がない、自分に価値がないと思っている若い子たちが、じゃあ経済だけ取り戻したところで、本当に子ども産むんだろうかと考えたときに、私みたいな子がいっぱいおったら、多分子供を産んでくれないやろうなと。
そして、自分のこと否定ばっかりしていくようなそんな女性が増えたら、多分、自傷行為とかもすごく増えると思うんですよ。
自分を傷つけてもなんとも思わへん。
そういう若者が、この先もずっと増え続けるだろうなと、私は思うんですね。
なので、こういう子供たちにちゃんと自尊心を与えてあげたいんです。
自分たちがこの世界に存在していたら、誰か絶対に自分のことを愛してくれている人がいるし。
なんなら、地域のみんなあなたのこと好きだよ。日本みんなであなたのこと仲間やと思ってるよ。
そういう社会を作って行かないと、みんなすごく孤独で不安で、子どもを産むそういう選択にも至らない。自分を大切にできない。
そういう女性がものすごい増えていくんじゃないかなと。
私はそういう事を考えて。そういうね…すいません(涙ぐ宮出さん)。
自分と似たようなそういう若者に、これ以上増えてほしくないなとそういう気持ちで、私はこの政治の世界に飛び込んで、そしてちゃんと教育を変えていきたいと思っております。
共産主義が1番やりたいこと…お母さんを子供から引き離すこと(子供に思想を植え付ける、心を壊すため)
これは先ほど言った自虐史観。
この戦後の自虐史観と呼ばれるような教育。
これももちろん変える必要があるんですが、やっぱり今ですね、お父さんお母さんと子供たちが一緒にいる時間があまりにも少ない。
子どもたちが、自分が大事にされているという感覚を持ててる子供があまりにも少ない。
これを私は何とかストップしたいんですね。
そして、私は共産主義をちょっと学んできましたので、このね、お母さんを子供から引き離すというのが、共産主義が一番にやりたいことだっていうのが、よく分かっているんですよ。
お母さんを引き離して、子どもたちをね、自分たちのいいように思想を植え付けたいというのもあるし。
そういう寂しい思いをさせてね、心を壊してしまいたい。
そういう思惑があるわけですよね。
ですから、この共産主義のね、共産党とは違いますよ。
共産主義のこの思想がまだまだこの日本で蔓延をしている。
というか、今リベラルと言われる人たちが、すごく幅を利かせていて。
こういう人たちの思想が、今新聞テレビ見ていてもですね。
そして、国会の場においてもすごく声が大きくなっている。
このままこれを放っておいたら、日本の私たちの精神、子どもたちの精神が本当に壊されていってしまう。
だから私たちは、これを止めたい。
この共産主義の思想がこれ以上蔓延してほしくないし、子どもたちをしっかりと守りたい。
そして、この若者に、ちゃんと本当に自尊心を持って、この日本で生きていってほしいんですね。
で、自分を大切にしてほしい。
自分を大切にしなかったら、本当に私たち不幸な人生しか待っていません。
そしてね、今例えばね、幸せになる選択ができるのに、なぜかその選択しない人って多いですよね。
幸せになるのが怖い人って、めちゃくちゃ多いですよね。
それをね、あなた幸せになってもいいんですよ。
そういう本当に肯定してあげられるような社会に、私はみんなでして行きたいと。
そういう風に思っております。
政治で変えていきたいこと…
ですから、この政治で変えていきたいことは、まず家族のあり方を見直す。
地域のあり方を見直す。
本当にこの変なイデオロギーを私たち日本でせっかく守ってきた精神性にその変なイデオロギーが入ってくるのを私はここでストップする。
そして、子どもたちの心をしっかりと守っていく。
人づくりがちゃんとできれば、私たちはこの先も日本をきちんと繋いでいくことができると私は確信をしております。
日本人。まだまだ捨てたものではありません。
本当に日本があるべき姿、私たち先人が守ってきてくれた、その先人が目指していたもの。
それを私たちは受け継いで、先の世代に届けていきたいという風に思っております。
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