【すずゆうチャンネル】毛沢東「文化大革命」…校長を撲殺し文化財を粉砕(1966年)

1966年。
「大躍進政策」に失敗し、数千万人の餓死者を出した毛沢東は政治的に危うい立場となり、「文化大革命」を起こしました。
まだ純粋な子供・若者たちに、革命に反対する人は敵だ!と呼びかけました。
昨日まで普通に授業を受けていた子供たちが、先生たちを拷問、殴る、酷い言葉を浴びせる、死に至らしめる。
10年間に及んだ文化大革命。
利用され、洗脳された子供たちが行った凄惨な所業とは…


子どもたちが悪魔になった日

教師を殺した普通の子供たち「近衛兵」

皆さん、少しだけ学生時代のことを思い出してください。
教室の黒板、チョークの匂い、そして教壇に立つ先生の姿。
厳しくて怖かった先生、冗談が好きで優しかった先生。
たとえ思春期の反発はあったとしても、心のどこかでは「目上の人」「自分たちを導いてくれる人」としての、最低限の敬意や信頼があったはずです。
それが「学校」という場所のルールですよね。

でも、もしある日突然、校内放送でこんなアナウンスが流れたら、皆さんはどうしますか?
「生徒諸君、革命の時は来た!」
「先生たちは敵だ。我々を洗脳する悪魔だ」
「だから、殴ってもいい。唾を吐きかけてもいい。殺してもいい。それこそが、新しい時代の正義なのだ!」

まるで、B級ホラー映画の設定のようですよね?
でも、これは映画でも小説でもありません。
1966年の夏、中国・北京にある名門女子中学校で、実際に起きた事件です。

昨日まで「先生、おはようございます」と笑顔で挨拶していた10代の女子生徒たちが、自分たちの校長先生を、校庭に引きずり出しました。
そして、釘のついた木の棒や、銅のバックルがついた軍用ベルトを振り上げ、寄ってたかって殴り続けました。
校長先生は血まみれになり、失禁し、泥水をすすり、最後は意識を失って、そのまま息絶えました
。

彼女を殺したのは、凶悪なギャングでも、外国の軍隊でもありません。
昨日まで彼女の授業を受け、ノートをとっていた、純朴な「教え子」たちでした。

これは、1966年から約10年間にわたって中国全土で吹き荒れた、凶器の嵐「文化大革命(文革)」の、ほんの一幕にすぎません。
この10年間で、中国では数百万人が殺され、あるいは絶望して自殺に追い込まれました。
その実行犯の多くは、「近衛兵」と呼ばれた、真っ赤な腕章をつけた若者や子供たちでした。
彼らは教師を殺し、貴重な文化財をハンマーで砕き、あろうことか「自分の親」を密告して処刑台に送り込みました。

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今日のテーマは、人類史上最も大規模で、最も残酷な「倫理の崩壊」について。
なぜ、純粋な子供たちが「人殺し」を「英雄的行為」だと信じ込んでしまったのか?
思い看板を首から下げさせ、身体を無理やり折り曲げさせる拷問「ジェット式」の実態とは?
そして、実の母親を死刑に追いやった少年が、半世紀経ってようやく語った、血を吐くような公開の言葉とは。
かつて教室が地獄に変わった時代の記憶。
しかし、これは「特殊な人々」の話ではありません。
人間が集団真理と洗脳に陥った時に見せる、紛れもない「真実」の姿なのです。

毛沢東の政治的失敗と焦りが引き起こした

まず、最大の疑問から解き明かしていきましょう。

なぜ、普通の中高生や大学生たちが、突然凶暴なモンスターに変貌してしまったのか?
その裏には、一人の絶対的なカリスマの「焦り」がありました。
建国の父・毛沢東です。

純粋な若者を自身を守る「近衛兵」に…「あいつらはお前たちの敵だ!倒せ!」

時計の針を1960年代初頭に戻します。
当時の毛沢東は、政治的に追い詰められていました。
彼が始動した「大躍進政策」という無茶な経済政策が大失敗し、なんと数千万人の餓死者を出してしまったからです。
その責任を問われ、彼は政治の実権を部下である劉少奇や鄧小平といった実務派に奪われていました。

「このままでは、俺はただの老人として終わる。権力を取り戻さねばならない」
毛沢東は考えました。
しかし、党の幹部たちはみんな敵(実務派)に回っている。
そこで彼が目を付けたのが、政治の汚れを知らない、純粋でエネルギーを持て余している若者
でした。

当時の中国の若者たちは、学校での詰め込み教育や、厳しい規律に抑圧され、鬱屈したものを抱えていました。
そこに、神様のような存在である毛沢東が、直接語りかけたのです。
彼は強烈なスローガンを叫びました。
「造反有理(ぞうはんゆうり)」。
直訳すれば、「反逆することには、道理(理屈)がある」。
つまり、「上の者に逆らうことは、正しいことなんだ!」という意味です。
さらに、彼はこう語りました。
「司令部を砲撃せよ!」。「今の学校の先生や、党の偉い大人たちは、革命の精神を忘れて私利私欲に走った『走資派(資本主義に走った裏切り者)』だ。あいつらはお前たちの敵だ。お目たちの手で倒せ!」

想像してみてください。
普段、「勉強しろ」「行儀良くしろ」「先生の言うことを聞け」と大人たちに抑圧されている中高生たちです。
そこに、国のトップアイドルであり神である毛沢東が、「君たちは正しい!悪い大人をぶっ飛ばせ!君たちが新しい時代の主役だ!」と暴力のお墨付きを与えたんです。

若者たちは熱狂しました。
脳内麻薬がドバドバ出たことでしょう。
「僕達は選ばれた戦士だ!」「世界を変えるのは僕達だ!」

こうして結成されたのが、毛沢東を守る赤い兵士、紅衛兵です。
彼らは学校の授業をボイコットし、軍服のような服を着て、左腕に赤い腕章をつけ、手には『毛沢東語録』という赤い手帳を掲げて、街へ繰り出しました。
ここから、大人の常識も法律も通用しない、子供たちによる恐怖政治、狂乱の夏が始まったのです。

近衛兵たちの最初のターゲットは「学校の教師」

先生たちへの凄まじい拷問ショー…ひどい拷問に耐えられず自殺する知識人・教師も

では、正義の味方気取りで街に出た紅衛兵たちは、具体的に誰を攻撃したのか?
彼らの最初のターゲットは、一番身近な権力者、つまり「学校の教師」たちでした。
理由はめちゃくちゃです。
「あの先生は、漢文の授業で昔の詩を教えた。封建主義だ!」
「あの先生は、パーマをかけている。洋服がおしゃれすぎる。ブルジョワ(金持ち趣味)だ!」
「あの先生は、俺を叱った。反革命的だ!」
こんな言いがかりのような理由で、これまで尊敬を集めていたベテラン教師や知識人たちが、次々と生徒たちに捕まりました。

そして行われたのが、「自己批判大会(吊るし上げ)」と呼ばれる、凄惨な拷問ショーです。
これは、ただ口で「反省しろ」と怒られるような生ぬるいものではありません。
人間の尊厳を徹底的に踏みにじる儀式です。

まず、先生たちに屈辱的な格好をさせます。
頭には、罪状を書いた巨大な紙製の「三角帽子」を無理やり被らせます。
首からは、ピアノ線のように細い針金で、重たい気の看板やレンガをぶら下げさせます。
看板には「牛鬼蛇神(牛や蛇のような妖怪=悪人)」と大きく書かれています。
重みで針金が首に食い込み、血が流れますが、手で支えることは許されません。
そして、文革を象徴する最も残酷で有名な拷問ポーズが、「ジェット式(噴気式)」です。
両手を背中側で縛り上げられ、腰を90度に曲げ、頭を低くし、後ろ手に縛られた腕を、背中側からできるだけ高く持ち上げさせられる。
横から見ると、まるで離陸するジェット機のような姿勢です。
これを何十分、何時間も強制されるのです。

やってみればわかりますが、数分で限界が来ます。
肩の関節が外れそうになり、筋肉は断裂し、腰に激痛が走ります。
脂汗が床に滴り落ちます。
少しでも姿勢が崩れれば、周りを取り囲んだ生徒たちから、「真面目にやれ!」「反省していない!」とベルトや木の棒で滅多打ちにされます。
髪の毛を掴んで引きずり回され、顔に墨を塗られ、階段から突き落とされる。
生徒たちは興奮状態で叫びます。
「罪を認めろ!」「毛首席万歳!」「革命無罪!」
先生たちは痛みと屈辱の中で、「私は悪人です」「私は生徒を毒しました」と、嘘の自白を叫ばされました。

この終わりのない拷問と屈辱に耐えられず、多くの知識人や教師が自ら命を絶ちました。
湖に入水自殺した著名な作家、睡眠薬をのんだ翻訳家。
北京だけで、1966年の8月から9月のたった2か月間に、1700人以上が虐殺されたという公式記録があります。

恐ろしいのは、生徒たちは、先生を殴れば殴るほど、「革命への忠誠心が高い」「勇敢だ」と評価されたことです。
「暴力」が「ステータス」になる。
学校は学びの場ではなく、血と汗と排泄物の匂いが染み付いた、処刑場へと変わってしまったのです。

自分の親もターゲットに…「革命に反対する親も敵だ!告発せよ!」

母親を告発した息子…母は逮捕され、公開の場で銃殺刑に

しかし、文革の悲劇は学校の中だけでは終わりません。
毛沢東の思想は、人間にとって最も安全であるはずの場所、「家庭」の中にも入り込み、崩壊させました。

毛沢東は若者たちにこう教えました。
「親よりも、毛首席を愛せ」。
「もし親が革命に反対するなら、それは親ではない。敵だ。告発せよ」と。

ここで、ある一人の少年の、あまりにも悲しい実話を紹介しましょう。
彼の名は、張紅兵。当時16歳。
「紅兵」という名前自体が、「私は紅衛兵の兵士だ」ということを誇るために、彼が自分で改名したものです。
彼の家では、父親も彼も、熱心な毛沢東信者でした。
しかし、母親だけは、少し違いました。
彼女は理性的で、今の異常な状況に疑問を持っていました。
ある夜、家の中で、家族団欒の食事中に、母親がふと本音を漏らしました。
「指導者たちも偶像崇拝されるべきじゃないわ。毛沢東だって人間よ。間違いはある。
私は、批判されている劉少奇さんの方が正しいと思うわ」

それは、家の中だけの、家族だけが聞いている会話でした。
普通なら「お母さん、外でそんなこと言っちゃダメだよ」で済む話です。
しかし、それを聞いた少年・張紅兵は激昂しました。
「おかあさん!それは反革命的な発言だ!毛首席への侮辱だ!あなたは敵だ!」

彼は、あろうことか父親と一緒に、「反革命分子を見つけた」と、実の母親を「現行犯」として通報したのです。
彼は自分の手で密告の手紙を書き、母親の顔を殴りつけ、紐で縛り上げました。
母親は軍によって連行されました。

その時のことを、彼は後にこう語っています。
「当時の僕は、これで『大義滅親(たいぎめっしん)』。つまり『正義のために肉親を滅ぼす』ことができる、僕は真の英雄になれるんだと、興奮して震えていた。
母への情けなんて、犬に食わせてしまえと思っていた」

連行された母親はどうなったか?
逮捕からわずか2か月後、彼女は「銃殺刑」に処されました。公開処刑でした。
多くの群衆が見守る中、彼女は撃ち殺されました。
そして、彼女が処刑されたまさにその日、夫(少年の父)は、「反革命分子の妻と正式に離婚した」ことを証明するために、わざわざ処刑場へ行かされました。
少年は、「反革命分子を勇気を持って告発した英雄」として、地域のプロパガンダ展示会で称えられました。
彼は母親の温かい命と引き換えに、革命への忠誠心とプラスチックのような名誉を手に入れたのです。

これが、当時の中国で起きていた「正義」のリアルです。

紅衛兵の暴走は、もうだれにも止められなくなりました。
彼らは「四旧打破(しきゅうだは)」というスローガンを掲げました。
「古い思想、古い文化、古い風俗、古い習慣をぶっ壊せ!」
彼らはハンマーを持って、寺院や博物館に押し入りました。
歴史的な仏像の首を切り落とし、貴重な掛け軸を破り捨て、何千年も前の書物を「ゴミだ」と言って燃やしました。
孔子のお墓すら、ダイナマイトで爆破されました。
中国5000年の歴史と文化が、自分たちの子供の手によって、灰にされたのです。

「上山下郷」…田舎に追いやられる近衛兵(1968年)

近衛兵同士で戦争、学校と工場は停止…経済は麻痺

さらに、紅衛兵同士での「内ゲバ(内部紛争)」も始まりました。
「俺たちの方が毛首席に忠実だ!」「いや、お前らは偽物だ!」と派閥争いを始め、ついには軍隊の武器庫を襲撃して本物の機関銃や戦車、大砲を奪って、市街地で戦争をやり始めたのです。
国中が内戦状態になりました。

学校も工場もストップし、経済は麻痺しました。

毛沢東の命令で地方の僻地に追いやられた若者たち…過酷な農作業へ


さすがの毛沢東も、ここで「やりすぎた」と気付きました。
あるいは、政敵を倒すという目的は達成したので、「もう若者たちに利用価値はなくなった」と冷徹に判断したのでしょう。

1968年、毛沢東は若者たちに新しい命令を下します。
「上山下郷(じょうざんかきょう)」運動。
いわゆる「下放(かほう)」です。

「都市の知識青年は、田舎へ行って、貧しい農民から再教育を受けてこい!
聴こえはいいですが、要するに「厄介払い」です。
暴れ回って制御不能になった紅衛兵たちを都会から追い出し、地方のへき地へ強制追放したのです。

昨日まで「君たちは国の英雄だ」とおだてられていた若者たちは、突然、電気もない、水もない貧しい農村へ送られました。

そこで待っていたのは、革命ごっこではなく、朝から晩まで泥に飲み込まれる過酷な農作業でした。
学校へ行って勉強する機会も奪われ、青春の全てを荒れ地で過ごしました。
彼らは後に、教育を受けられなかった「失われた世代」と呼ばれるようになります。
教師を殺し、親を売り、文化を壊し、そして最後は自分たちも使い捨てられた。

誰も幸せにならなかった革命。それが文革の結末です。
文革が終わって数十年。
かつて紅衛兵だった若者たちは、今は白髪の老人になりました。
彼らの多くは、当時のことを口をつぐんで語りません。
語るには、罪が重すぎるからです。
「私が先生を殺しました」とは言えないのです。

しかし、先ほどの少年、母親を告発した張紅兵さんは、近年になって実名で顔を出し、懺悔を始めました。
彼はその後、弁護士になり、母親の名誉回復のために奔走しました。
そして、母親が処刑された場所に行って、泣きながら頭を地面に打ち付け、こう言っています。
「私は人ではありませんでした。獣でした。母を殺したのは私です。一生、許されることはないでしょう」
彼は今も、母親の夢を見ると言います。
しかし、夢の中の母は彼に何も言わず、タダ背中を向けて去っていくだけだそうです。
洗脳が溶けた後に残ったのは、死ぬまで消えない「後悔」という地獄でした。

盲目的に政府やトップを信じる危険性は現代も同じ

いかがだったでしょうか。文化大革命と紅衛兵の狂気。
「昔の中国は野蛮だったんだな」「自分たちとは違うな」と笑って終わらせることはできません。
なぜなら、「正義」を振りかざして他人を攻撃し、社会的に抹殺しようとする心理は、現代の私たちの中にも、確かに存在するからです。

SNSを見てください。不祥事を起こした人を、気に入らない意見の人を、「正義」の名のもとに、寄ってたかって叩き、個人情報を晒し、家族まで追い詰める。
その時の私たちの心理状態は、三角帽子をかぶせて先生を殴っていた紅衛兵と、どれほど違うと言えるでしょうか。

自分は絶対に正しい、相手は絶対に悪だと思い込んだ時、人間はどこまでも残酷になれる。
文革の悲劇は、過去の遺物ではなく、集団真理の極限のサンプルとして、今も私たちに警鐘を鳴らし続けています。

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